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編成は、チンドン太鼓、楽士を基本として、3人から5人の編成で、ゴロス(大太鼓)、旗持を伴うことも多い。

 

 

チンドン太鼓左手側
手前がゴロス、奥はチンドン太鼓右手側
 
チンドン太鼓
 
チンドン太鼓は、下座音楽で用いられていた楽器である鉦(当たり鉦)、締太鼓、大胴を組み合わせて作られる。身体に垂直となる向きで上に鉦と締太鼓、下に大胴を木枠にはめ込み、上部に傘、前部には屋号を書いた札を立てる形が一般的。ひもを肩にかけ、身体の前面にチンドン太鼓を固定する。東京では、山の手のチンドン屋は締太鼓を大胴の下に地面に平行な向きで固定していたのに対し、下町では剣劇を行いながら歩くことが多く、締太鼓を上部に置くことになった。昭和初期までは銅鑼を用いることもあった。大胴と締太鼓を叩く際にはバチ、鉦を叩くには先端に鹿の角を付けた撞木を用いる。リズムは細かく、囃子に歩調のリズムが合成されて生じたものと考えられる。
 
ゴロス(大太鼓)
 
ゴロスは、フランス語の大太鼓"grosse caisse"からの転。フランス式を採用していた帝国陸軍の軍楽隊の退役者が、映画館などで楽士となり、この語が広まったと推察される。ゴロスは、紙芝居でも話の合の手として用いられており、紙芝居からチンドン屋へ転業する際に持ち込まれたという意見がある。
チンドン屋のゴロス演奏に特徴的な点としては、左右で用いるバチが異なることが挙げられる。三つ打「ドン・ドン・ドン・(休)」、七つ打「ドン・ドン・ドン・ドン・ドン・ドン・ドン・(休)」といった単純なリズムを繰り返すことが多い。
 
楽士
 
主に旋律を担当する。メロディを崩して演奏することが多い。楽器としては戦前期から戦後間もなくにかけては、昭和初期には三味線を使うこともあったが、マンボなど洋楽リズムの流行に伴い昭和30年代はじめまでに衰退し、次第に管楽器がほとんどを占めるようになった。クラリネット、サックスが用いられることが多く、トランペットあるいはコルネットも用いられたが、次第に減少している。
楽士は特定の親方に属する雇用関係を結ぶこともあったが、依頼に応じて編成の大きさを変える必要性もあり、仕事の都度依頼されたり派遣されたりする形をとることも多い。フリーの楽士は「出方」と呼ばれる。こうした形態は、明治期から演奏家の派遣業が存在したことも大きいと思われる。昭和初期にはトーキーの登場によって映画館を追われた演奏家、戦後はサーカスから転身してきた演奏家が、楽士としてチンドン業界に流入したと言われている。1990年代以降は、ジャズやロックのミュージシャンが楽士となることも多い。
 

レパートリー 

 

レパートリーの元は、下座音楽、軍歌・行進曲、映画館などの和洋合奏、歌謡曲などがある。客を寄せるための演奏であるから、後になってチンドン屋の演奏以外では耳にする機会が少なくなった曲もあるが、その時代時代に広く知られた曲が取り込まれる。「四丁目」「タケス(竹に雀)」など歌舞伎下座音楽から借用したもの、「軍艦マーチ」「天然の美」(美しき天然)など国産の軍歌・行進曲などから採られたものは定番曲として演奏され続けている。これらも取り入れられた時代には耳馴染みのある音楽だった。戦後になると、いわゆる歌謡曲が演奏されるようになる。

下座音楽は、歌舞伎や寄席の舞台で、御簾や衝立の陰で演奏されるもので、季節や場所の雰囲気を出したり、効果音を発したり、劇中の馬子唄や獅子舞などの伴奏をする。長唄を中心とするが、清元、義太夫のほか、端唄や新内、神楽、念仏など必要なものは取り入れ、また奇抜な試みも行われていた。当初、寄席の囃子は上方にのみ存在したが、大正期に東京の睦会が取り入れ、定着した。また、大衆演劇にも採用された。「四丁目」「竹に雀(タケス)」「米洗い」などは、下座音楽からチンドン屋のレパートリーとなった。下座音楽の祭礼囃子は、細いバチで叩くことで軽快さを出し、三味線と合わせる際にリズムが強調された。

演奏の初めに鳴らされる「打ち出し」は、出囃子から借用されたもの。

軍歌は、日清戦争時に流行し、民間吹奏楽団の主要なレパートリーとなった。軍楽隊の田中穂積作曲による「天然の美」は、サーカスの楽隊のレパートリーとして知られ、チンドン屋のレパートリーともなっている。海軍軍楽隊の瀬戸口藤吉が作曲した行進曲「軍艦」は、「軍艦マーチ」として景気付けのために用いられ、特に戦後パチンコ店の宣伝に用いられ一般化した。このほか、「ドンドレミ」など、由来が不明の行進曲もチンドン屋のレパートリーとして残っている。

「天然の美」や「軍艦マーチ」は、映画館の呼び込みに用いられたが、館内では伴奏のための楽団があった。大正末から流行する時代劇では、ピアノやサックスなどの洋楽器に三味線や囃子方が加わる和洋合奏という編成が主流になった。無声映画時代には下座音楽が流用されたが、トーキー以降は、映画会社とレコード会社が提携して新曲を作るようになる。チャンバラの流行もあり、三味線音楽の延長にある流行歌が多く生まれ、和洋の楽器が混在する編成で伴奏された。「名月赤城山」や「無法松の一生」「野崎小唄」などは、和洋合奏による映画の伴奏からチンドン屋のレパートリーとなったと思われる。

歌謡曲は、時代時代に応じて選曲される。曲としての知名度や曲調のほか、テンポ、旋律などによって適不適があると考えられる。

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